日本でプロサッカーコーチをやってみた

サッカーコーチという「仕事」に興味のある人に向けて、8年間サッカーコーチを職業としてきた人間の情報を発信していきます

プレーモデルと戦術と、原理原則の関係

前回、原理原則の話をしてきましたが、今回、より詳細に僕が考える原理原則の話の以前に、プレーモデルというものと、戦術、原理原則の関係性についてを整理しておこうと思います。



プレーモデルというものは、以前の記事で確認した通り、

『プレーモデルとは、チーム全体の選手各々がゲーム中に共有していなければならない、脳内映像(イメージ、ビジョン)であり、プレー選択の基準である。サッカーが集団的なスポーツである限り、重要なのはチーム全員が同じ脳内映像を持つことである』

『しかし、それは、選手を規則によって縛り付けマシーンのように扱うことではなく逆にチームが有機的にオーガナイズされるためには、メカニズムが必要になる。』

『プレーモデルとは、コーチが、それによって選手全員をあら一つの共通の方向性の元にこれから起こるべきことを予測させることを可能とする枠組みである』


というものです。


戦術、というものは例えば



「相手のDFラインのマークのつき方は、5バック、マンツーマンがベース。ラインは低く、ゴール前に選手を集めて守備をかためてくる」

「攻撃は奪ってからのカウンター狙い。前線の2枚を起点にしてくる。サイドに流れてから中央を狙ってくる」


「相手は1ー4ー4ー2ゾーン、ラインは高めの設定。同サイドに距離を近く追い込み、SHで奪う設定をしている」

「攻撃は、同サイドからの打開を目指して、ワンツーやオーバーラップの形が多い」


という、ベースとなるチームの狙いから、選手の特徴に応じて、変化してくる部分など含めて、自分たちの狙いと、相手の狙いと、それらに応じた相互に作用した行為でもあります。



基本的にプレーモデル、というものと、戦術というものは密接に関連しているものであり、戦術という、広義の分野の中に、プレーモデルが存在しているといえるでしょう。




そして、原理原則というものもまた、戦術でもあり、プレーモデルでもある、ですが、それらの、根本をなしているものです。




ここで、チームを構成していく際のプロセスを、順に追って見ることにしましょう。

育成年代ではなく、トップの年代のチームとします。


この場合は、シーズン前に選手が監督とは別な人間の手によって、すでに構成されている場合を想定します。

まずは、監督という立場の人間が、持っている「チームのプレーモデル」を明確にします。

それから、所属している選手の特徴を観察していくことによって、その選手たちが最も効果的に機能するプレーモデルを構築します。

それらを合わせたうえで、これからどのようにチームを組み立てていくかを考えて、シーズンを考慮して、プランニングしていきます。

監督の持つプレーモデルと、選手から導き出されるプレーモデルが異なった場合、クラブによっては、選手を入れ替えるでしょうし、監督が、あくまで選手のもたらすプレーモデルに沿ってチームを構築するという場合もあるでしょう。

多くの優秀な監督は、時と場合によってそれらの方法を組み合わせることによって、究極的に、力を発揮できる、プレーモデルを構築して、チームの力を最大限に発揮させていきます。それができる監督が評価されていることでしょう。

選手の組み合わせによって多様なプレーモデルを組み立てて使い分け、それを実行してチームとしてうまく機能させていくことができる監督というのは優秀ですし、逆に、得意な分野のプレーモデルが際だっており、そこに適した選手構成を行うことによって、際だった結果を出すことができる監督というのも存在しています。前者は、おそらくモウリーニョヒディング、後者はクライフやグアルディオラなどが挙げられるでしょう。

この辺りで、どのような監督を起用し、選手を獲得するかというのはクラブの持つコンセプトによってきます。

上記のようなプロセスを経てプレーモデルが規定され、トレーニングによって、戦術的なコンセプトとしてそれらは落とし込まれていきます。


戦術的なコンセプトの共有を通じて、プレーモデルは選手間に共有されていきます。そしてそれらは、対戦相手によっても、変化する必要があるため、対戦相手を考慮した中で、戦術コンセプトとして日々アップデートを繰り返していくのです。


そして、その戦術コンセプトの、「根本」となるものが

「原理原則」


と呼べるものであると思います。



トップの年代で、よりスムーズに、クラブのコンセプトから導かれる、チームのコンセプトに基づき、日々のトレーニングで監督の求める戦術的コンセプトを、チームの一員として、より早く、効果的に発揮していくためには、「原理原則」の理解というものはかかせないものになってきます。