体罰の“なぜ“
最近、こんな事件がありましたね
さらに有名なところだと
さらに明らかになる実態、桜宮高校体罰問題を振り返る
サッカーでも
EXE'90FCJrのコーチ・山元浩敬が児童に暴行虐待する動画
こんなことがありました。
僕はこれらの根源にあるのはすべて、同じだと思っています。
ひとえに、
「勉強不足」
というより、
日本の
「勉強する環境整備のなさ」
ではないかとおもいます。
子育てをしたり、小さな赤ちゃんや幼児とたくさん過ごしたことがある人ならわかるでしょう。
赤ちゃんはうまくしゃべれず、自分の意思が伝わらないとき、どうするでしょう?
大きな声で、叫ぶか、手を出します。
これが、おそらく人の本能でしょう。
生き物として、とも言えるのかもしれませんが。
だから、戦争が無くならない。
…話が飛びました。
兎にも角にも、手が出てしまう、大きな声で叫ぶ、怒鳴る、というのは、多くの人に備わっている、本能的なものだと、思うのです。
でも、人は成長するにつれて、言葉を学び、伝える術を身につけて行きます。
自分の思いが伝わらないときは諦めることもあるでしょうし、伝えるために必死になることもあります。
サッカーの指導の現場でも、他のスポーツでも、学校でも、
「子どもを成長させたい!結果を出してあげたい!」
たいてい、そんな思いを持って、先生やコーチの人は現場に立っているはずです。
うまくさせたいとか、成長させたい、そのために、あの手この手を尽くして、子供にアプローチして、なんとかしてあげようとしてみるものの、こどものなかには、要領の悪い子もいるし、思い通りになんてそうそういかない。
そんな中で、保護者のプレッシャー、または学校からのプレッシャー、クラブ幹部からのプレッシャー…
様々な外圧によって、はたまた、シンプルに、イライラして…
手が出てしまう
と、思います。
決して、体罰は許されません。
ですが、ただ、
体罰は悪だ!
体罰をなくそう!
体罰をするような奴は、クズだ!
といったところで、なんの解決にもならないなではないかと思います。
現場の人間も、そんなこと、わかってるでしょう。
…もちろん、良かれと思って体罰をしている人も中にはいるでしょうが…それは論外として…
どうにもこうにもならない、カッとなってしまう、その瞬間、本能を理性でカバーするために、
その局面を解決に導くための、知識と経験を積み重ねられるような、環境を整備していかなければいけないと思います。
子供たちが、のびのびと楽しみながら、スポーツを、勉学を学ぶことができる、その環境を作るための、指導者養成、が最も大切なのではないかと思います。
サッカーでは、JFA公認指導者ライセンスというものが設けられていますが、まさしく、
「体罰はダメ!やめましょう!」
というスローガンが書かれているばかりで、
実際に、現場に立つ人間が、先ほど書いたように
「伝えたいのに伝わらない」
「思い通りにいかない」
「どうすればいいかわからない」
ような場面に陥ったときの具体的な、解決方法というものは、提示してはくれません。
より、具体的に、より科学的に、そのスポーツを理解し、どのようにそれを、選手へ伝えていくのか、という「術」を、細かく、一から学ぶことができる環境、
それを整えることが急務です。
そして、それによってポジティブに、スポーツ、勉学に向き合える人材が増える。
その結果、スポーツにおいても学問においても、優れた人材が安定的に輩出されていく国になっていくのではないでしょうか。
「アンテナ高くしておけば学べろう」
「学ぶ意欲がない人間が悪いんだ」
という人は、たいてい、その知識を、既得権益として、別な利益を得ようと企みます。
そうすることで、再び、格差につながっていきます。
ビジネスではいいでしょう。
教育ではダメです。
僕はそう思います。